ボンド大学留学帰国レポート

ボンド大学

レポート作成H.M

私は、オーストラリアのゴールドコーストに6ヶ月と3週間留学していました。私がここを選んだ理由は私の姉が同じ龍谷で2年前に留学していたので下準備をすることが苦手な私にとっては好都合だったからです。あと、オーストラリアの留学業者のエクセルは無料で留学前の手続きをお手伝いしてくれるから選びました。ところが実際、留学前の手続きはとても大変でした。

教務課や留学業者が手伝ってくれるから大丈夫といっても、結局は自分自身で、英語で書かれている書類を処理しなければなりません。しかし、この下準備は私にとって留学生活の大変さのほんの一部にしかすぎません。

現地に着いてからは想像をはるかに超える苦労が待っていました。ホームステイ先は留学業者に頼んで姉と同じホストファミリーを希望したので、良いファミリーに恵まれました。

学校では、日本人とブラジル人が多かったですが、他には韓国人、中国人、チリ人、フランス人、コロンビア人、ロシア人そしてアラブ人といったたくさんの異なった国の人々がいました。日本人は基本的にシャイな性格という面があるので、私の場合も最初はその壁を乗り越えることに苦労しました。

アジア圏以外の人々が会話していると圧倒されなかなか会話に入れず、困っていました。だから最初の約2ヶ月間は日本人とずっと一緒にいました。しかし、それでは留学に来た意味がないと思い、外国人と交流を増やそうと決意したが途方に暮れていました。

そんなとき一人の韓国人の女の子が助けてくれました。授業のとき、いつも隣に座って私が聞き取れないことがあれば丁寧に簡単な英語で教えてくれたり、一緒にお昼ご飯を食べたり、アジア圏外の外国人の友達に話しかけたりと彼女の支えが本当に言葉では表現できないほどの救いでした。まさか国の違う人とましてや、私たちはお互いに母国語を使っていないにも関わらずここまで仲良くできるとは想像できませんでした。

そして、彼女のおかげで私の留学生活は大きく変わりました。日本語を使う環境とは疎遠になり、必ず私の隣には外国人がいました。休日も一日は外国人と遊びに出かけ、もう一日は図書館に行き発音の練習や授業の復習をしていました。彼女が韓国に帰ったあとは、彼女の友達のもうひとりの韓国人の女の子が役割を引き継いで、私といつも一緒にいてくれました。彼女も韓国人のパーティーに私を招待してくれ、ホームステイ先にも呼んでくれたので、彼女のおかげで私のオーストラリアで関わる人間の輪が広がりました。そういった違う国の友達にいつも支えられました。彼女たちのおかげで韓国語も少し学びましたし、私たちは今でも連絡をほぼ毎日取り続けているぐらい仲良しです。

私が留学を通して学んだことは、自分の努力次第で物事はいくらでも変えることができるということです。私も自分の留学を、日本語を使う環境や一緒にいる友達を360度変えました。きっと私の内面も同様に変わったことでしょう。今の私は、誰にでも話しかけることができる積極的な性格になりましたし、次留学に行くときの下準備も自分でこなせるはずです。私にとって留学は、新しい自分を始める起点となりました。