カンタベリー大学留学帰国レポート

カンタベリー大学【2018年度後期帰国】私費

レポート作成F.Y

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この語学学校は100,200,300,400,500,600 という6つのレベルに分かれており、それぞれ下からBeginner,  Elementary,  Pre-Intermediate,  Intermediate, Upper-Intermediate,  Advanced という構成順で下に行けば行くほど学ぶ英語のレベルが基本的になっていく。

Genaral course では基本的な日常会話や文法といった、日常英語に特化したコースであり、この学校で一番参加者が多いコースとなっている。

授業の中では、あるトピックについてチームに分かれて討論会をしたり、与えられた話題で自分なりの考え方や意見を言い合うプレゼンテーションを行ったりと、「英語を話す」ということを重点化して行っている。

 

 私が初めて登校したときは、300というクラスで、問いかけに対して数少ない単語を組み合わせて文を作ることしかできなかった。しかし、担当してくれた先生がすごく楽しくて、教え方やクラスの進行の仕方が飽きなかったことでそのころから英語を「勉強する」という捉え方から、「英語を楽しみながら取得する」という風に変えることができ、話すことにも恐れなくクラスではたくさん発言したり、自分の意見を周りに共有することが可能になっていった。そしてそうなったころに、クラス分けテストが再び行われ、400という次の上のクラスへと上がった。

 

 400の先生は英語の基礎固めが得意な人で、まだまだ流暢ではなかった英語がだんだんとましになり、頭の中で文法の構造などを考えなくても、自然と言葉が出てくるようになった。基礎固めといっても文法の話をしているんじゃなくて、表現方法や人がしやすい口語的英語の基礎を学んだ。クラスで話すトピックもさほど難しいものではなかったので、300の時と同様、自らの意見を周りに共有したり、逆に聞いたり。クラスとは別で私の学校には、E-learning というものがあり、そこで行うチームディスカッションという項目のおかげでコミュ二ケーション能力も大幅に上がった。さらにクラスは、いつも賑やかで知り合いがそのクラスにたまたま多かったため、ストレスなく英語を学ぶことができた。このクラスは一番長い期間いたので、放課後やクラスの時によくパーティーを開くことが多かった。

 

 500に上がると、基本的このクラスの生徒は英語が理解できる人が多く集まっていたので、勉強というよりかは、討論会やボードゲームなどより、日常会話に近いことをクラスで行った。その中でも日本と比べ絶対に日本では起きないクラスが二つあった。一つはMUSIC DICTATION といって、洋楽を聞き自分のリスニング能力でどこまで理解できるのかという感じのことをやる。だがその曲というのが普通ではなくて、問題や趣旨を婉曲的に謳う曲であったので、人それぞれの捉え方をみんなに発表するというかなり斬新なクラスであった。二つ目は演劇ドラマを撮ること。クラスの一環として行ったのが自分たちで脚本、キャストを考えてドラマを作るといったもので、もちろんこれもすべて英語で行った。とり終われば編集し、みんなで観賞会なんてものも行った。こういったように、このクラスでは全員がある程度英語は流暢だからこそできる内容を行った。さらに、このクラスは日本人が私一人であったというのもかなり良かったメリットでもある。

だが、やはり300.400は日本人が多く、日本語を話してしまう機会があるため、多くの人はあまりそこから進歩しない人が多い風に」見られた。

 

 私はこの学校最高クラスの600に2週間だけ参加できることができた。ただ、やはり一番上というだけあって、やることはかなりほかのよりアカデミックな話題であったりといった内容を扱った。プレゼンテーションはほかのクラスでも行ったが、話題はそれほどもがくようなものでもなかったが、600のクラスではすごく事細かな話題や、日本語でも意見が言えないといった内容が多々あり、いろいろと圧倒された2週間でもあった。例えば、「ハチの数がこの地球を支えていて…」や「オーストラリアの珍種の研究」などなど。ただ、文字通り「学ぶ」という視点から見ると非常にいい経験になった。このクラスの生徒はほぼネイティブ並みに話せる人が多かったので、とてもやりやすかったクラスでもあった。

 

 クラスが上がるにつれて言葉の幅や表現の仕方が増えていき、最終的には日常会話はもちろんのこと、現地の人たちとジョークなども言い合えるほどに「話す」能力が向上した。そして何より克服したものは話す、間違えるという恐怖である。来て間もない頃は文法の構造を考えたり言葉を知らなかったため、それの言いかえなどを「考える」ことで時間を費やし、自然の会話はできない、間違えるとそれにおびえ意見があったとしても発言できない、などといったことに苦しんだ。ただ、できるだけこれをなくしたかった私はできるだけ日本語を使うことを封印し、一人の時や日本人同士でいるときでさえ日本語を使わずに過ごした。それもあってか話すことに関しては非常に速いスピードで取得することができた。